うどん隊、高松から坂出方面へ
嗚呼うつくしきかな讃岐富士
さて、信州うどん隊は次なるうどん店を探すことになったが、問題は時間。
信州からの移動に時間がかかり1店目を終えた時点で午後4時。
製麺所系などは当然終了しているし、2泊3日の今回の旅では3日目の帰路を考えると実質1日しか余裕がない。
そこで宿泊地である高松市内は「いつでもいける」と勝手に決め込みパス。
さらに移動距離が長く、うどん隊全員が希望している「山越」「谷川米穀」方面は2日目の午前中と設定し、本日は遅くまでやっている一般店も多い坂出方面へ移動することにする。
ここで惜しむのは岡山から四国連絡橋を「快速マリンライナー」で高松入りしたのだが、オーシャンビューの指定席(500円くらい)の快適な旅に気をよくした我らが「うどん隊」は、そこまでがまんしてきた食事をビールと共にありついてしまったのである!。
なんたる不覚!
おろかなり「信州さぬきうどん巡礼隊」
1店目の「大圓」で、結構腹を満たしてしまった信州うどん隊。果たしてどうなる
2006,01,24 Tue 02:25
1店目:ぶっかけの「大圓」
さぬきうどん巡礼、高松にはいって無事レンタカーを借り1店目は「大圓」(だいえん)さんである。
とにかく移動距離が長かったので、高松については午後3時過ぎ。製麺所系などのうどん屋は午後2時頃にはしまってしまっていたり、さらにこの日は月曜日で祝日。日曜祝日や月曜日のお休みが以外と多い。
そんな中で駅から比較的近く、当初から行ってみたい店としてランクが高かったのがこの店である。駅から10分ほど走ってガソリンスタンドを目印に左側をみるとビルっぽい建物に1階に「大圓」さんはあった。
店の前の駐車スペースには2台ほどが止まっている。
「こんな時間(午後3時過ぎ)でも食べる人いるのかねぇ」と言いながら車を降りるが、誰も店へ入ろうとしない。
なんだろう、この恐ろしさというか緊張感は。
ついに来た、我々は巡礼の第1歩を踏み出すというプレッシャーなのだろうか。
ようやく店の扉を引くと、そこにはなにげない普通のうどん屋っぽい風景があった。
カウンターとテーブルの席、なにかを中継しているテレビ、そして「おでん」
そう。聖地香川の一般うどん店には「おでん」があるのだ。
そんな日常と非日常の中、我々は席について1杯目の注文を考えはじめたのだった・・・
ここは「ぶっかけ」の有名店である。
うどんと言っても、かけ、ぶっかけ、釜揚げ、生醤油といった食べ方があるが、この店は「ぶっかけ」のメニューが揃っていることが隊員の事前調査でも判明しており、途中の岡山駅であまりの空腹に軽食をとってしまったとは言え、空腹感と期待感は増すばかりである。
メニューを見ると確かに「ぶっかけ」が並んでいる。
さらにそれには「温」と「冷」があるのだ〜
「どうしよう」
その場にいた全員が考えたに違いない。
1日目とは言え、せっかくの聖地巡礼。できれば3店舗は巡りたい。
となれば多くを食べるのは無策すぎる。
しかし聖地にてのファーストインプレッションは大事にしたい。。。
「スペシャルぶっかけ・・・・」私は呟いた。
もう計画もなにもない、そこに「スペシャル」の文字があるのだ。
それを頼まずして何をたのもう。
しかし他の隊員は
「なっとう」「たまご」など無難な選択。
これが事前調査をした正常な人なのだろう・・・
注文を聞くと店の親父はうどんをお湯にいれる。
一同の視線が釘付けになる。
緊張のできあがり・・・・しかしスペシャルはまだこない。
「ではいただきます」
他の隊員は、聖地でのはじめての「さぬきうどん」を食し始める。
ずずずず・・・
「う、うまい」
それ以外の言葉はでてこない。
ただ食す。
スペシャルのでてこない理由。
それは「えび天」であった。
他のメンバーが半分も食べ終わった頃でてきた「スペシャル」には、ご当地金比羅さんのお船に燦然とたつ帆柱のごとく、エビ天がのっていた。
そして運命の1口目。
やはり違う。
旅行にくる前の事前勉強として、加ト吉も食べた。はなまるうどんも行った。伊那で唯一のうどん専門店といっていい「得得」にも行った。
もちろん、これらの店と比べるべくもないのだが、やはり違う。
うどんのコシは、いままで「固い」ことがそうであると思っていた。
しかし、違うのだ。
噛むことで歯に加わる適度な圧力。これが「コシ」なのだということを体感する幸せ。
旅行の疲れと空腹を満たす大きなしっかりとしたエビ天。
そしてすてきな喉ごしを実現する「ぶっかけ」に、全員が虜になった。
「うまーい」
この喜びがあと2日続くのである。
そしていくつの店が私たちを喜ばしてくれるのであろうか。
果たして1店目に「大圓」を選んだことは、吉なのか。
そんな期待と不安が交錯しつつ、至福の時を味わった。
2006,01,16 Mon 00:56
信州伊那から聖地香川への果てしない道のり
さぬきうどん巡礼にあたり、さしあたり問題は香川までの交通手段であった。
香川でもまず目的としては高松市、そこからレンタカーでうどん巡りをしなければならないことは数々の資料と先人の知恵で理解していた。
で、うどん隊で考えた案が以下のとおり
1.伊那からレンタカーで中央・名神・瀬戸大橋と移動する
これは高速代・燃料代やレンタカー代などを5人で行くことを考えると最も安く、また帰りのおみやげとなるであろう「うどん」の重量制限を考えなくてよいことなど加味して、もっとも効果的な手段であると思われた。
が、移動にはとてつもなく時間がかかりそうであり、さらにレンタカーが営業所の開店時間内で返せるのか、うどんを食べ尽くして精も根も尽き果てたところで長距離の帰路が運転できるのかなど、数々の不安点があったため却下となった。
2.信州から名古屋へ高速バス、そして新幹線
もっとも高速かつ適切な移動であると思われた。
が、金なしのうどん隊にはちょときつい。
そこで・・・
3.信州から大阪へ高速バスで、そして新幹線
これだけでかなりの交通費が節約となり、うどん巡礼の寄進に資金が回せるというもの。
さらに香川大の原先生によると
「高松から神戸・大阪へは高速バスが30分ごとにでている。道路状況から考えると神戸(三宮)あたりがいい」とのこと。
結局、今回のうどん隊は
(往路) 伊那-高速バス-新大阪-新幹線-岡山-快速マリンライナー-高松
(復路) 高松-高速バス-神戸三宮-阪急電鉄-梅田-高速バス-伊那
という道順をたどることとなった。
なぜ往路で新幹線を使ったのか。
それはJR西日本が誇る500系のぞみに某氏が乗りたかったからである。
ちなみに500系のぞみは東京から博多まで運行しているが、営業運転として世界最速の時速300キロを出せるのは新神戸からの区間である。

ちなみに新大阪-高松は新幹線を使って、運賃が7000円くらい。
帰りの高松-神戸は吹っ飛ばす・・・じゃないフットバスを二人で割り引きチケットをかって2680円であった。神戸三宮から梅田までは310円。
まぁ、お金では買えないものもあるということで。
香川でもまず目的としては高松市、そこからレンタカーでうどん巡りをしなければならないことは数々の資料と先人の知恵で理解していた。
で、うどん隊で考えた案が以下のとおり
1.伊那からレンタカーで中央・名神・瀬戸大橋と移動する
これは高速代・燃料代やレンタカー代などを5人で行くことを考えると最も安く、また帰りのおみやげとなるであろう「うどん」の重量制限を考えなくてよいことなど加味して、もっとも効果的な手段であると思われた。
が、移動にはとてつもなく時間がかかりそうであり、さらにレンタカーが営業所の開店時間内で返せるのか、うどんを食べ尽くして精も根も尽き果てたところで長距離の帰路が運転できるのかなど、数々の不安点があったため却下となった。
2.信州から名古屋へ高速バス、そして新幹線
もっとも高速かつ適切な移動であると思われた。
が、金なしのうどん隊にはちょときつい。
そこで・・・
3.信州から大阪へ高速バスで、そして新幹線
これだけでかなりの交通費が節約となり、うどん巡礼の寄進に資金が回せるというもの。
さらに香川大の原先生によると
「高松から神戸・大阪へは高速バスが30分ごとにでている。道路状況から考えると神戸(三宮)あたりがいい」とのこと。
結局、今回のうどん隊は
(往路) 伊那-高速バス-新大阪-新幹線-岡山-快速マリンライナー-高松
(復路) 高松-高速バス-神戸三宮-阪急電鉄-梅田-高速バス-伊那
という道順をたどることとなった。
なぜ往路で新幹線を使ったのか。
それはJR西日本が誇る500系のぞみに某氏が乗りたかったからである。
ちなみに500系のぞみは東京から博多まで運行しているが、営業運転として世界最速の時速300キロを出せるのは新神戸からの区間である。
ちなみに新大阪-高松は新幹線を使って、運賃が7000円くらい。
帰りの高松-神戸は吹っ飛ばす・・・じゃないフットバスを二人で割り引きチケットをかって2680円であった。神戸三宮から梅田までは310円。
まぁ、お金では買えないものもあるということで。
2006,01,16 Mon 00:33
信州さぬきうどん巡礼隊、発足!
平成17年の暮れに「信州さぬきうどん巡礼隊」は発足した。
きっかけは主宰の安江が学会で訪れた高松で、さぬきうどんに出会ってしまったことからはじまる。
その奥の深さ、地域の密着度、そしてうどんの概念を覆してしまった衝撃は、信州に戻ってからも脳裏・・・いや舌先や喉に強く焼き付いていた。
そこで、職場の仲間5人とともに、聖地香川へ再び赴くべく結成したのが「信州さぬきうどん巡礼隊」である。
名付け親は、快く高松で出迎えていただいた香川大学医学部の原教授。
紹介するごとに「伊那の・・・・」とか「うどん巡りの皆さん」などと変幻自在の名称であったが、おおむねこんな感じで決まりである。
まぁ名前なんてそんなもんだ。
きっかけは主宰の安江が学会で訪れた高松で、さぬきうどんに出会ってしまったことからはじまる。
その奥の深さ、地域の密着度、そしてうどんの概念を覆してしまった衝撃は、信州に戻ってからも脳裏・・・いや舌先や喉に強く焼き付いていた。
そこで、職場の仲間5人とともに、聖地香川へ再び赴くべく結成したのが「信州さぬきうどん巡礼隊」である。
名付け親は、快く高松で出迎えていただいた香川大学医学部の原教授。
紹介するごとに「伊那の・・・・」とか「うどん巡りの皆さん」などと変幻自在の名称であったが、おおむねこんな感じで決まりである。
まぁ名前なんてそんなもんだ。
2006,01,16 Mon 00:26
2006年伊那のブロードバンドは?
皆様あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、以下はいなじんメルマガに寄稿したものです
って、新年初っぱなから手抜きかい!(爆
□■ 2006年 伊那のブロードバンドは変わるのか・・ やすえっち
皆さま、本年もよろしくおねがいします。
さて、今年は2月の権兵衛トンネル開通、3月の新伊那市の誕生、数々の選挙など、伊那も忙しい1年になりそうです。
インターネットアクセスを含むブロードバンド環境はこれらによって変わるのでしょうか。
まず、新市誕生にあたって各市町村を結ぶ地域イントラネットが構築されます。もともと行政ネットワークとしては上伊那情報センターが住民基本台帳や各種業務の共同電算処理のための網を構築していましたが、3市町村内の職員が円滑に事務事業を行うための光ファイバによる地域イントラネットが完成するようです。
願わくばせっかくの大容量なのですから、地域住民にも無料で開放して地域の活性化に活かしてもらいたいものです。
さらに県知事選関連では県の総合情報ネットワーク(通称県WAN)が計画されています。昨年末の12月県議会で予算は否決されています
が、平成19年度完成予定のこの網は県関係だけでなく市町村・広域連合が接続される予定になっています。
県知事選の結果如何では時期や内容などは変化していくと思いますが、願わくばせっかくの広域なのですから、さらに住民に直結したサービス提供機関などに積極的に接続を働きかけていただきたいと思います。
インターネット接続サービスのBフレッツやADSL、そして地域イントラネット、県WANなどの動向をみても、すでに光ファイバを引くといった基盤構築の時期は終わっているように思います。
今年はこれらのネットワークを地域が如何に活用できるかが真に問われる1年となると思いますし、その結果如何では過疎地などへのインフラ投資や光ファイバ網のさらなる普及が同時に行われていくことが求められるような機運が高まるでしょう。
惜しむらくは、現在基盤を構築している当事者の皆さんがそういう意識を持っている方が少ないということです。
いや、もしかしたらそうではないかもしれませんが、それが行動に表れないのです。
今年、もしブロードバンドが変わるとすれば「行動」の時期であることを、当事者の皆さんがどれだけ認識できるかにかかっているのではないでしょうか。
本年もどうぞよろしくお願いします。
さて、以下はいなじんメルマガに寄稿したものです
って、新年初っぱなから手抜きかい!(爆
□■ 2006年 伊那のブロードバンドは変わるのか・・ やすえっち
皆さま、本年もよろしくおねがいします。
さて、今年は2月の権兵衛トンネル開通、3月の新伊那市の誕生、数々の選挙など、伊那も忙しい1年になりそうです。
インターネットアクセスを含むブロードバンド環境はこれらによって変わるのでしょうか。
まず、新市誕生にあたって各市町村を結ぶ地域イントラネットが構築されます。もともと行政ネットワークとしては上伊那情報センターが住民基本台帳や各種業務の共同電算処理のための網を構築していましたが、3市町村内の職員が円滑に事務事業を行うための光ファイバによる地域イントラネットが完成するようです。
願わくばせっかくの大容量なのですから、地域住民にも無料で開放して地域の活性化に活かしてもらいたいものです。
さらに県知事選関連では県の総合情報ネットワーク(通称県WAN)が計画されています。昨年末の12月県議会で予算は否決されています
が、平成19年度完成予定のこの網は県関係だけでなく市町村・広域連合が接続される予定になっています。
県知事選の結果如何では時期や内容などは変化していくと思いますが、願わくばせっかくの広域なのですから、さらに住民に直結したサービス提供機関などに積極的に接続を働きかけていただきたいと思います。
インターネット接続サービスのBフレッツやADSL、そして地域イントラネット、県WANなどの動向をみても、すでに光ファイバを引くといった基盤構築の時期は終わっているように思います。
今年はこれらのネットワークを地域が如何に活用できるかが真に問われる1年となると思いますし、その結果如何では過疎地などへのインフラ投資や光ファイバ網のさらなる普及が同時に行われていくことが求められるような機運が高まるでしょう。
惜しむらくは、現在基盤を構築している当事者の皆さんがそういう意識を持っている方が少ないということです。
いや、もしかしたらそうではないかもしれませんが、それが行動に表れないのです。
今年、もしブロードバンドが変わるとすれば「行動」の時期であることを、当事者の皆さんがどれだけ認識できるかにかかっているのではないでしょうか。
2006,01,06 Fri 00:05
