SL-C860 構築したもの
ザウルスのLinux搭載機 SL-C860を入手しました。
某リサイクルショップのオークションで17500円。
中古とは言え完動美品です。新品の市場価格が4万円後半、ネットオークションでも3万円前後ですから、お得だったのではないかとまずまず満足。
ザウルスは私がPDAをいたぶる最初の機械でした。PA3000だったかな。
その前にもポケットコンピュータという小型計算機があり、中学時代カシオのそれにはまったのがパソコンとのそもそものなれそめ。
そこから学校にあったMSXを経て、初めて自分のパソコン「マイコン」になったのがシャープのMZ-2000。
そのシャープはMZ,X1,X68000と個性的なパソコンを発売し続けていきましたが、NECやIBM-PCに押されて独自路線はなくなってしまいました。
そういう意味でとても思い入れのあるメーカーですが、PDAとしてもザウルスが私に与えた衝撃は大きかったのを思い出します。
当時PDA=小型コンピュータ=ポケットコンピュータ、程度の認識しかなかった私ですが、特にザウルスの「手書き」には驚きましたね。ペンを使ってスムーズにメモをとる、という行為そものもがPDA(個人情報ツール)という可能性を一気に広げた、そんな感覚ですね。
その後PalmやPocketPCなどを使ってきましたが、改めてC860を使ってみるとPDAとしてのザウルスは極めて日本人的な動作をするなぁという感想を持ちます。
PockePCの動作は、まさにWindowsのそれで、マルチタスク、アプリ連携など、例えてみるとシュワルツネッガーのアクション映画。次から次へと画面が展開していき、最後にはシャットダウン(笑)という、最近の日本の情報化傾向に似た趣すら感じさせます。
palmはPocketPCよりもカレンダー、アドレス帳などのそれぞれのアプリケーションが独立していて、かつPocketPCのような柔軟性も持ち得ているという点で、私の日常持ち歩きマシンになっています。バランスがいいですね。
ザウルスはアプリ、ハード、通信、拡張性などが随分と進化して機能が増えているのですが、どうもそれぞれが独立していて、極論では「機能を使いたければその機能の独自の操作方法を勉強してね、ハードも買ってね」と割り切られた関係みたいな感覚。
これは多機能が使いこなせない日本人初心者には、とてもとっつきやすいと共に、ユーザーをかなり選ぶのではないかなというのが実感なのです。
という訳で、今回のザウルスSL-C860はPDAとしては使っていません。
私的魅力はやはりLinux搭載でしょう。
どんな構築をしていくかは次回。
某リサイクルショップのオークションで17500円。
中古とは言え完動美品です。新品の市場価格が4万円後半、ネットオークションでも3万円前後ですから、お得だったのではないかとまずまず満足。
ザウルスは私がPDAをいたぶる最初の機械でした。PA3000だったかな。
その前にもポケットコンピュータという小型計算機があり、中学時代カシオのそれにはまったのがパソコンとのそもそものなれそめ。
そこから学校にあったMSXを経て、初めて自分のパソコン「マイコン」になったのがシャープのMZ-2000。
そのシャープはMZ,X1,X68000と個性的なパソコンを発売し続けていきましたが、NECやIBM-PCに押されて独自路線はなくなってしまいました。
そういう意味でとても思い入れのあるメーカーですが、PDAとしてもザウルスが私に与えた衝撃は大きかったのを思い出します。
当時PDA=小型コンピュータ=ポケットコンピュータ、程度の認識しかなかった私ですが、特にザウルスの「手書き」には驚きましたね。ペンを使ってスムーズにメモをとる、という行為そものもがPDA(個人情報ツール)という可能性を一気に広げた、そんな感覚ですね。
その後PalmやPocketPCなどを使ってきましたが、改めてC860を使ってみるとPDAとしてのザウルスは極めて日本人的な動作をするなぁという感想を持ちます。
PockePCの動作は、まさにWindowsのそれで、マルチタスク、アプリ連携など、例えてみるとシュワルツネッガーのアクション映画。次から次へと画面が展開していき、最後にはシャットダウン(笑)という、最近の日本の情報化傾向に似た趣すら感じさせます。
palmはPocketPCよりもカレンダー、アドレス帳などのそれぞれのアプリケーションが独立していて、かつPocketPCのような柔軟性も持ち得ているという点で、私の日常持ち歩きマシンになっています。バランスがいいですね。
ザウルスはアプリ、ハード、通信、拡張性などが随分と進化して機能が増えているのですが、どうもそれぞれが独立していて、極論では「機能を使いたければその機能の独自の操作方法を勉強してね、ハードも買ってね」と割り切られた関係みたいな感覚。
これは多機能が使いこなせない日本人初心者には、とてもとっつきやすいと共に、ユーザーをかなり選ぶのではないかなというのが実感なのです。
という訳で、今回のザウルスSL-C860はPDAとしては使っていません。
私的魅力はやはりLinux搭載でしょう。
どんな構築をしていくかは次回。
2004,12,07 Tue 12:11
長野県箕輪町のインターネット投票
(信濃毎日新聞の記事)
(長野日報の記事)
箕輪町には町が独自で構築した光ファイバがある。
通常はケーブルテレビなどの協力を得るのだが、隣の辰野町(宮川さん?)などのアドバイスも得て町がNTTからダークファイバを借りる独自運用となっている。
この問題点としては、「なにかあったとき」、いわゆる事故で電柱を倒したとか、光の終端が壊れたとかいったときに、いつ誰が修理をするのか、確認するのか。
地域情報網を特に公的機関が構築する場合には、いつもこのようなネガティブな意見がでて、その対策のみで議論が終始してしまう傾向があるようだが、箕輪町のように積極的に利用して、その上で管理方法などを独自で検討していくことは公的機関による責任ある地域情報化施策には必要ではないかと思う。
責任は持たない、金は出す、運用も任せる、でも確認はしない、使えればいい。そんな厳密な管理による確実なネットワークほど無駄なものはない。
続き▽
(長野日報の記事)
箕輪町には町が独自で構築した光ファイバがある。
通常はケーブルテレビなどの協力を得るのだが、隣の辰野町(宮川さん?)などのアドバイスも得て町がNTTからダークファイバを借りる独自運用となっている。
この問題点としては、「なにかあったとき」、いわゆる事故で電柱を倒したとか、光の終端が壊れたとかいったときに、いつ誰が修理をするのか、確認するのか。
地域情報網を特に公的機関が構築する場合には、いつもこのようなネガティブな意見がでて、その対策のみで議論が終始してしまう傾向があるようだが、箕輪町のように積極的に利用して、その上で管理方法などを独自で検討していくことは公的機関による責任ある地域情報化施策には必要ではないかと思う。
責任は持たない、金は出す、運用も任せる、でも確認はしない、使えればいい。そんな厳密な管理による確実なネットワークほど無駄なものはない。
続き▽
2004,12,07 Tue 07:56
更新
この書き込みは別に運用していたADSL日記から引用したものです。
これを書いてからはや1年。。。blogの力を借りて、もう一度日の目をみることになるとは。
--
ご無沙汰しております。
やっと年末になって、この日記を更新することができました。
そもそもは日本銅線活用研究会<metallic.gr.jp>のひとつからスタートしたのですよね。この日記。
思えば、今年もいろいろありました。
日本銅線活用研究会ということで運用していたxDSLのページと東京めたりっく通信非公式掲示板が閉鎖になったのもその一つです。
特に後者は利用者が多かっただけにちょっと厳しかったですね。
もとは別の方が始めた掲示板を引き継いだのがいつだったか。その頃の掲示板のサーバは実は東京めたりっく通信のNOCの中にありました。
そもそも東めたの当時の会長だった東條さんの意志というか信念みたいなものがあって、「ユーザー会みたいなものがあってもいいじゃないの」ということで、結局参加できなかった外野の私が管理人でやっちゃったわけです(笑)
ネットワークオペレータのK君の協力もあって、当時大手町にあったNOCのサーバの片隅ではじめた実験みたいなものでしたが、すぐにユーザーの熱意がすごいものだったことを感じることができたのを新鮮に覚えています。
私も当時「あやしい管理人」として結構好き勝手に書かせてもらいましたし、多くの方からいろいろと教わりました。そのことは今の伊那でのネットワーク構築の基本理念としてとても役に立っています。
閉鎖になったのは、研究会そのものの閉塞感というより、やはり「めたりっく」の名前が消えたことと、k君が個人的に守ってきてくれたボランティアにいつまでのすがることができなかったところにあります。
研究会の活動そのものは、未だIRCやメーリングリストでも続いていますし、おかげで長野や木曽や中国の様子(笑)やTTCの動向なんかも(大笑)よくわかりますし、伊那での会議室と称する市内の居酒屋や、応接室と称するスナックでの宴会も続いています。
そんなこんなで、そろそろあの頃書けなかった話も書いてもいいころかと思われる時期になってきました。
この日記で少しづつ、でもまだまだ各方面でがんばっている関係者に迷惑をかけない程度に書いていきたいと思っています。
これを書いてからはや1年。。。blogの力を借りて、もう一度日の目をみることになるとは。
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ご無沙汰しております。
やっと年末になって、この日記を更新することができました。
そもそもは日本銅線活用研究会<metallic.gr.jp>のひとつからスタートしたのですよね。この日記。
思えば、今年もいろいろありました。
日本銅線活用研究会ということで運用していたxDSLのページと東京めたりっく通信非公式掲示板が閉鎖になったのもその一つです。
特に後者は利用者が多かっただけにちょっと厳しかったですね。
もとは別の方が始めた掲示板を引き継いだのがいつだったか。その頃の掲示板のサーバは実は東京めたりっく通信のNOCの中にありました。
そもそも東めたの当時の会長だった東條さんの意志というか信念みたいなものがあって、「ユーザー会みたいなものがあってもいいじゃないの」ということで、結局参加できなかった外野の私が管理人でやっちゃったわけです(笑)
ネットワークオペレータのK君の協力もあって、当時大手町にあったNOCのサーバの片隅ではじめた実験みたいなものでしたが、すぐにユーザーの熱意がすごいものだったことを感じることができたのを新鮮に覚えています。
私も当時「あやしい管理人」として結構好き勝手に書かせてもらいましたし、多くの方からいろいろと教わりました。そのことは今の伊那でのネットワーク構築の基本理念としてとても役に立っています。
閉鎖になったのは、研究会そのものの閉塞感というより、やはり「めたりっく」の名前が消えたことと、k君が個人的に守ってきてくれたボランティアにいつまでのすがることができなかったところにあります。
研究会の活動そのものは、未だIRCやメーリングリストでも続いていますし、おかげで長野や木曽や中国の様子(笑)やTTCの動向なんかも(大笑)よくわかりますし、伊那での会議室と称する市内の居酒屋や、応接室と称するスナックでの宴会も続いています。
そんなこんなで、そろそろあの頃書けなかった話も書いてもいいころかと思われる時期になってきました。
この日記で少しづつ、でもまだまだ各方面でがんばっている関係者に迷惑をかけない程度に書いていきたいと思っています。
2004,12,01 Wed 01:35
