そもそものはじまり
私の今年のはじまりは、病院の救急センターでの「あけましておめでとう」でした。
と言っても病気になったわけではありません。私の現在の仕事は伊那にある地域中核病院での企画業務であり、元旦は救急センターで当直をしておりました。ここのセンターは昨年4月に出来たばかりですが、24時間どのような患者でも診ることから、年末年始であろうと大勢の時間外急患と救急車が訪れます。
市役所というところは、いろいろな仕事をしなければなりません。病院の業務もそうですし、情報システムの仕事、畜産の仕事などなど。いずれも私は仕事としてやってきました。
1997年当時は農政課という、農業に関する業務を主とするところで勤務していまして、その時に伊那市有線放送農業協同組合と出会ったわけです。そう、伊那有線は農協なんですね。
有線放送電話を行っている団体としては、農協・漁協の組織体である場合もあれば、自治体が業務として行っている場合や共設組合として行っている場合などがあります。が、やはり財源や経営にバックアップできる組織体がいいという点では、全国的な総合組織であり、農林水産省などの補助も受けやすい農業協同組合というのはいいですね。また農村という地域性から考えても、設立当時に農協という組織であることは無理がなかったのでしょう。
JANISというプロバイダーがありますが、あれも農協がバックになっています。あそこは「長野県協同電算株式会社」という農協の子会社であり、あくまで農協とは違います。
もともと農協の電算業務を請け負う会社でしたから、持ちつ持たれつであるでしょうけど。
そんな農業とADSLとの関わり。そこには組織と人と技術の見事な(微妙な?)マッチングがあったわけです。
私もたまたまですが、そんな関わりの中を泳がせてもらえて、とてもよい経験であったと言わざるを得ないわけです。
今は医療という関わりを泳がせてもらっていますが、これもまたいろいろと出来そうで、楽しみですね。
今までにはない女性との接点が多いのは、ADSL以上に魅力的ではありますが・・・・なかなか一筋縄ではいかないところはADSLに通じるものがあるようです。(意味不明)
と言っても病気になったわけではありません。私の現在の仕事は伊那にある地域中核病院での企画業務であり、元旦は救急センターで当直をしておりました。ここのセンターは昨年4月に出来たばかりですが、24時間どのような患者でも診ることから、年末年始であろうと大勢の時間外急患と救急車が訪れます。
市役所というところは、いろいろな仕事をしなければなりません。病院の業務もそうですし、情報システムの仕事、畜産の仕事などなど。いずれも私は仕事としてやってきました。
1997年当時は農政課という、農業に関する業務を主とするところで勤務していまして、その時に伊那市有線放送農業協同組合と出会ったわけです。そう、伊那有線は農協なんですね。
有線放送電話を行っている団体としては、農協・漁協の組織体である場合もあれば、自治体が業務として行っている場合や共設組合として行っている場合などがあります。が、やはり財源や経営にバックアップできる組織体がいいという点では、全国的な総合組織であり、農林水産省などの補助も受けやすい農業協同組合というのはいいですね。また農村という地域性から考えても、設立当時に農協という組織であることは無理がなかったのでしょう。
JANISというプロバイダーがありますが、あれも農協がバックになっています。あそこは「長野県協同電算株式会社」という農協の子会社であり、あくまで農協とは違います。
もともと農協の電算業務を請け負う会社でしたから、持ちつ持たれつであるでしょうけど。
そんな農業とADSLとの関わり。そこには組織と人と技術の見事な(微妙な?)マッチングがあったわけです。
私もたまたまですが、そんな関わりの中を泳がせてもらえて、とてもよい経験であったと言わざるを得ないわけです。
今は医療という関わりを泳がせてもらっていますが、これもまたいろいろと出来そうで、楽しみですね。
今までにはない女性との接点が多いのは、ADSL以上に魅力的ではありますが・・・・なかなか一筋縄ではいかないところはADSLに通じるものがあるようです。(意味不明)
2004,01,03 Sat 01:22
ADSLという言葉
最初はRADSL(らずる)と言っていたような記憶があります。伊那にパラダインのRADSLを持ち込んでホテルでCPEと一晩格闘した半坂さんには、新しい情報をいろいろと持ってきてもらいました。MVLを初めてきいたときも、最初はさっぱりでしたが。
ADSL を取り巻く1997年の日本の状況は暗雲としていまして、NTTが社長会見で「ADSLはやらない」と言っていましたし、実験をやるときでさえ、ほとんどの既存の通信事業者は「なにそれ」だったんじゃないでしょうかね。日本で最初の商用サービスにこぎ着けたJANISさんでさえ、最初は農協つながりの名前だけだったし。
ADSLでやはり強烈な印象だったのは、東京で開かれたADSLセミナーでの筒井さんの解説。話し方は支離滅裂っぽいのに、言っていることは理論整然、笑いにも事欠かない。ある意味ADSLの性質とは、あのセミナーの筒井節そのままのようにも思いますね。
その後、筒井さんはADSLという本を書いたのですが、遅れに遅れて出版されたその本は、私が見るとこれは技術書と哲学書と聖書をあわせたような内容で、さすがというかなんと表現するべきか・・・今のADSLを巡る状況と同じとでもしておきましょうか?(自分でも何言っているのやら)
その頃から、ADSLはアメリカの戦略物資と言って憚らなかったのが平宮さんだったのですが、平宮さんの話はまたいずれ。
ADSL を取り巻く1997年の日本の状況は暗雲としていまして、NTTが社長会見で「ADSLはやらない」と言っていましたし、実験をやるときでさえ、ほとんどの既存の通信事業者は「なにそれ」だったんじゃないでしょうかね。日本で最初の商用サービスにこぎ着けたJANISさんでさえ、最初は農協つながりの名前だけだったし。
ADSLでやはり強烈な印象だったのは、東京で開かれたADSLセミナーでの筒井さんの解説。話し方は支離滅裂っぽいのに、言っていることは理論整然、笑いにも事欠かない。ある意味ADSLの性質とは、あのセミナーの筒井節そのままのようにも思いますね。
その後、筒井さんはADSLという本を書いたのですが、遅れに遅れて出版されたその本は、私が見るとこれは技術書と哲学書と聖書をあわせたような内容で、さすがというかなんと表現するべきか・・・今のADSLを巡る状況と同じとでもしておきましょうか?(自分でも何言っているのやら)
その頃から、ADSLはアメリカの戦略物資と言って憚らなかったのが平宮さんだったのですが、平宮さんの話はまたいずれ。
2003,12,31 Wed 01:23
しかしあれですな
ADSLがここまで高速化するとは思いませんでした。
東めたがサービス開始したときは1.5Mbps。
あの頃使っていたwestellのflexcapはCAP方式の1.5Mbpsなんですが、今の標準方式とはぜんぜんかけ離れているので、NTTでは使うことはできないし、1.5Mbpsなんて使う人すらいないでしょ(笑
実はflexcapを最初に使いましょって、当時の東京めたの小林社長に、長野市内の居酒屋かどこかで言った覚えがあるんですよ。
理由は安定性と到達距離。
当時はNTTのラインはとくにかく判らなくて、暗中模索。とにかく伊那でも11kmという到達距離という実証のあるものがいいということになって。1.5Mbpsは今では誰も振り向かないけれど、11kmは魅力的でしょう。
ちなみに安定性はピカイチで、今でも伊那では動いています。
すぐに不採用になったのは1ラック14枚しか入らないDSLAMの収容能力だったかな。なにしろNECのとかは100ユーザとか収容できましたからねぇ・・・高い所場代だったのでしょうねぇNTTの電話局。
東めたがサービス開始したときは1.5Mbps。
あの頃使っていたwestellのflexcapはCAP方式の1.5Mbpsなんですが、今の標準方式とはぜんぜんかけ離れているので、NTTでは使うことはできないし、1.5Mbpsなんて使う人すらいないでしょ(笑
実はflexcapを最初に使いましょって、当時の東京めたの小林社長に、長野市内の居酒屋かどこかで言った覚えがあるんですよ。
理由は安定性と到達距離。
当時はNTTのラインはとくにかく判らなくて、暗中模索。とにかく伊那でも11kmという到達距離という実証のあるものがいいということになって。1.5Mbpsは今では誰も振り向かないけれど、11kmは魅力的でしょう。
ちなみに安定性はピカイチで、今でも伊那では動いています。
すぐに不採用になったのは1ラック14枚しか入らないDSLAMの収容能力だったかな。なにしろNECのとかは100ユーザとか収容できましたからねぇ・・・高い所場代だったのでしょうねぇNTTの電話局。
2003,12,30 Tue 01:34
