。゜。゜。゜。゜。いなじんインターネットメールマガジン。゜。゜。゜。゜ Vol.150       2004.03.25 http://www.inajin.gr.jp 〜〜〜〜〜〜 150回記念、大特集号です〜! 〜〜〜〜〜〜 たった一言で救える混雑がある!?〜県下NPO提供道路情報提供掲示板 「Road110ドットコム」  情報募集中 ==============おしながき===============   □ 日本で一番最初のADSLの思い出      やすえっち  ■ 「地球半周紀行 その2(旅の思い出)」   MASSACO  □ 思い出の切ない春のこと           ドナっち ==================================   □■ 日本で一番最初のADSLの思い出       やすえっち    いなじんメールマガジン150号おめでとうございます。  以前このメールマガジンでも書いたようにも思うのですが、再度日本で  最初のADSLの話を書こうと思います。   伊那でADSL実験を行ったのが1997年9月〜10月でした。  1ヶ月という短い期間でしたが、当時ISDNと実現するか知らない光  ファイバ一色だった日本では、ブロードバンドや定額インターネットな  んて特に地方では夢のような話でした。  そんな状況の中で伊那有線で中川参事(当時)やInfovalleyの竹村さん  のご努力もあって定額ダイヤルアップインターネットが実現したことを  きっかけにして、東京でADSLモデムやソフト開発をおこなっていた  ベンチャーな方々と「NTTがやらないなら我々が伊那で実験しよう」  ということになったのでした。   こういった実験に必要なものは技術的な検証や企業や団体との調整な  どのマネジメントですが、伊那でのDSL実験は「世間にADSLの存  在を知ってもらわなければならない」という大前提があったので、実験  期間も1ヶ月に決めて正確な報告書を作成し、それを政府や企業、地域  に知ってもらうための広報していかなければならないという共通認識が  ありました。   さらに大事なのは地元の協力で、ADSLは一部企業や団体がその技  術を理解すれば済むものではなく、利用者がそのポテンシャルを意識的  に理解できなければ普及は到底不可能でした。そこで地元の推進に協力  したのがNPOいなじんインターネットの前身である「INAJINインター  ネット協議会」だったわけです。  その当時は浦野さんや柴田さんや有賀さん、高木さんといったインター  ネットに色々な方面で造詣が深い方々が個人のできる範囲で最大限協力  してくれました。さらに市内の学校の先生方、有賀先生や松崎先生など  の協力もあり、「学校インターネット」のひとつのモデルを提示するこ  とができたと思います。   数理技研や富士通長野システム、KDDI研究所などの当時の技術者  の皆さんとも伊那を通じた付き合いは今も続いていますが、それは「A  DSL」という共通項だけでなく、「伊那」という地域と、そこに集う  人たちがあったからこそだと思っています。   先日から元東京めたりっく通信会長の東條さんとADSL実験のあと  から東京めたりっく通信の存亡までをまとめようということで当時の記  憶や資料の整理をまとめはじめています。きっとその資料は単なる思い  出帳ではなく、今後の日本のブロードバンドの方向性を見いだす指針に  なるのではないかと密かに予想しています。             ■□   □■  「地球半周紀行 その2」       MASSACO   時間の感覚というのは、小さいころに身に付けるものだということを  つくづく思った。外国には時間の流れを感じない国もあり、日本のよう  に分単位で行動すべきことを小学校時代からうるさく言われる国も存在  する。   子供たちの時間の過ごし方はブラジルでは十人十色だった。  比較的中級階級の、つまりお父さんやお母さんが仕事を持っていて自分  の家というものがしっかりある家庭の子供は大体が午前か午後どちらか  半日学校へ行く。日本のように一日中学校で過ごすことはあまりない。  家に帰れば家族の誰かがたいがい待っている。なので、家族と過ごす時  間という点では日本の家庭の2倍はあるという計算になる。そのようにし  て、子供たちは半日何か仕事をして半日は自由に過ごすという生活パタ  ーンを送っている。   その子供たちがそのまま大人になり、やはりその生活パターンが一生  続く人たちが多い。  何もしないでただ外の街路を眺める時間、友人と何でもないことをおし  ゃべりする時間、散歩に行って過ごす時間などなど、とにかくこれが長  い。用が済んだらサッサと次の行動に移る日本人的体質の自分にとって、  滞在中はじめのうちは背中がムズムズする思いがした。我慢しきれない  のだった。  ところが、そんなムズムズが消えるこんな出来事があった。  ある日、友人と自動車で隣の町へ買い物に出かけた時のこと、信号待ち  をしていた車の列に人が近づいてきた。それもほんの小学生くらいの女  の子と男の子で、車のフロントガラスを掃除し始めたのだ。ブラジルに  は信号待ちの車にスナック類を売る仕事をしている人が多い。つまりは  就職難のため、自分で仕事を作り出している。誰が教えたか、子供たち  もそのように働いている。   あの子達もきっと午前か午後は学校に行っていて、半日仕事をして稼  いでいるのだろうと思う。あるいは、学校にも行ってないか知れない。  でも得意げにフロントガラスを掃除するあの子達の顔が、今でも印象深  い。ちゃんと右と左のガラス脇からうまく連係プレーを取り、わずかな  信号待ちの間に見事にきれいにしてくれるのだった。友人の旦那が50円  にも満たない硬貨を差し出した。   ああやって大きくなる子供たちもいるのかと思うと、せっかちな体質  の自分がちょっと恥ずかしくなった。それで彼らは十分のびのびと明る  く育っているからだ。 ■□              ■□  思い出の切ない春のこと           ドナっち   “お丈夫”と“元気”を絵に描いた様だと言われる昨今ではあるが、  そんな私が非常に珍しく病床に臥せったことがある。今では当然“鬼の  霍乱”だったと言われているのだが。はっはっは。  中三の春の事で−病名は腎盂炎とのことであった。片田舎の事でもあり  時代も古く、我が家のみならず周辺の大方の家庭にとって『学校』とい  うものは絶対の存在であった為、多少だるい程度の症状では「怠け病」  だろうと信じて貰えず、或る日とうとう玄関先で立てなくなったとき、  両親はやっと私を医者へと運んだのだった。  何故玄関で歩けなくなったか。そうなのだ、ご存知だろうか、沈黙の臓  器と云われる肝臓ほどでも無いだろうが腎臓というのは相当ひどい状態  にならないと自覚症状が無いらしく、この病気の顕著な症状の一つは、  足の脛(ふくらはぎ)辺りが異様にだるくなるのである。いわゆる「む  くみ」というやつだろうが、刺すような痛みでは無く、疲れが溜まりに  溜まった挙句にそれが一斉に集まったかの如く鈍くダルイのだ。それも  際限無く。。  よく考えてみればそれは無理も無いのかも知れないと思う。なんせ保育  園から始まって小学校それから中学と合計10年も(!)片道4キロを歩  いて通ったのだから・・。   さて、ドが付く田舎にしてはこれまた珍しく少し走った所に専門医が  いたのだからこの偶然にも驚くが、その日から私は絶対安静となった。  それまではめでたくも病気と病院には全然縁が無かったので、腕白ざか  りの弟達があっちを折ったの打ったのと接骨医へ通い、ギプスを取る時  には大声で泣くのを聞いて男の子なのにぃ〜と嘲笑い憐れんでいたのだ  が、立場が逆転。  毎日毎日眺めていた天井はもう木目の柄も覚えてしまったし、本や漫画  雑誌もいい加減飽きてしまっても身体を動かすことは出来なくて苛々し  たし私だけがどうして、と思うと悲しかった。  そりゃあそうだ、一番元気な年頃なのだもの。  今でも忘れないが、まるで時代劇にでも出てきそうな医者が作る灰色の  粉薬はオブラート(懐かしいですね)に包んでも二回分はゆうにあり、  その量の多さにゲンナリさせられたっけ・・。シオシオのパー。←コレ  が解る人はえらい、イヤ古いっ(笑)。  好物の洋ナシの缶詰が食べられるのは嬉しかったが、食事は味が一切し  ないものだった。少しは良いのだろうが、一日も早く治したかった私は  徹底して無味のお粥や野菜を必死に食べた。これは元々薄味好きの私に  はそれほど苦痛では無かったのだが、濃い味好みの母は今でも「お姉ち  ゃんはあの時よくまあ頑張ったねえ」と今でも言うから可笑しい。   都合3週間も寝ていただろうか、普通はもっと長期入院したりするら  しいが幸い春休みの期間中だけで4月から私は普通に高校へ通えた。  ビョーキというシチュエーションが自虐的に嬉しくて、何かと理由をつ  けては高校の体育をサボったので苦手だった運動は私からますます遠の  いて行ってしまった・・・さようなら〜。贅肉さんこんにちは。という  訳で、運動の嫌いな私はいまこのお腹の肉をどうやって追い払おうかと  悩んでいるのである。誰か教えて〜!(笑)   かように思い出の春は、切なく悲しい春であった。陽気で明るいな私  にもこんな悲しい歴史があったとさ・・トホホ(涙)。  それでも私は早春が好きだ。草木が芽吹き、序でに人のアタマも芽吹く  (木の芽時なんて云いますね)少し寒くてまだコートの手放せないこの  浅い春の風景が堪らなく切なく好きである。 ■□                                   。。。。。。。。。☆☆☆。。。。。。。。。              編集部からのお知らせ  ■□■    ■□ 情報をお寄せください  □          いなじんインターネットは、地域のみなさんからの情報を       お待ちしています。       美味しい情報、きれいな情報などお待ちしております。       情報の提供は、こちらからお願いします。        http://www.inajin.gr.jp/mailmag/form.html              mailmag@inajin.gr.jp  ■■□■   ■□ 編集部のひとこと   □  ■  やっと春が来たと喜んでおったらばまた寒が戻って来て冷えまし    たね〜今朝は〜雪が降ったくらい。    まあヨン様の新しい映画のタイトルじゃ無いけれど四月になっても    降った例もあるから油断大敵ですわい。う〜さぶさぶっ    みなさまお風邪は召されてませんか。季節の変わり目です、御身体    ご自愛下さいね。    24節気を追って数えているのに少し間が開いたのでもう啓蟄も春分    も過ぎて行ってしまいました。    今日は愛知で万博がオープンしたそうです。混んでますね〜あの混    みようを見ていると行く気が萎えますね〜。行く予定の方は春休み    が過ぎてからの方が良いでしょうね。    大特集、のハズだったのですが、あまり多く無くてすみません。原    稿が集まらなかったので・・また何か案を考えようと思います。             次号は4月6日(水)です。             お楽しみにっ!                           綾小路小薔薇            =================================      発行  非営利活動法人 いなじんインターネット          長野県伊那市境1071番地 リブレビル1F               電話 0265-73-8844       ご購読の停止及びメールアドレスの変更は、          http://www.inajin.gr.jp/mailmag/form.html        編集部へのお問い合わせ、ご意見・ご感想など          http://www.inajin.gr.jp/mailmag/form.html                          mailmag@inajin.gr.jp     このメールマガジンは、大安の日にお届けしております。    尚、大安が日曜、祝祭日と重なった場合は、お休みとさせていただきま    す。あしからず。  。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆。゜。★。゜。☆==